"I was born in Tokyo on May 22, 1972."
(私は、1972年5月22日に東京で生れました。)
解説
「生まれる」「溺れる」は他動詞「生む」「溺らす」に「れる」がついたものですからこれは一種の受動態です。しかし日本語ではこれは自動詞とされます。「生まれる」も「溺れる」も当人の意思の働きに関係なく起きることだからでしょう。他動詞に「(ら)れる」を付けますとこれはれっきとした受動態です。しかし日本語の受動態は英語のようにきびしい自他の区別の上に成立しているわけではありません。つまり「(ら)れる」は「AがBを蹴った」「BはAに蹴られた」という論理の受動態ではなく、「Bが蹴られた」という事態が個人の意思を越えて自然的に展開されたという意味の受け身なのです。ですから自動詞に「(ら)れる」をつけて受身表現をつくることができるのです。