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「ファースト・ネーム呼び 」

first-namingは丁寧な庶民的な態度
さて英語圏のfirst-namingに話を戻します。先にも指摘しましたように、first nameが上位者に対しても使えるのは上位者が下位者にそれを許しているからです。
現実には上位者と下位者との間には主従・長幼の別をはじめ身分・家柄・体力・能力・経済力などさまざまな差があるのですが、その差を上位者が一切取り払って下位者と対等な位置まで降りてくること、すなわちcondescension (目下の者に対する親切、丁寧、庶民的な態度) を意味します。condescensionとは大人が小さな子供と話をするときに、立ったままで見下ろすのはやめて、膝を折り曲げ子供と同じ目線まで身を低くし、しかも子供ことばを使うなどして子供に威圧感を与えず子供が対等に話せるようにするあの姿勢に通じる作法といえます。
このように上位者が上位であることの属性をすべて捨てて個人対個人の対等な人間関係にあるという認識を相手に表明するのは、英語圏社会における敬語法の根本原理でもあるわけですから、下位者にfirst-namingを許すのは相手に敬意待遇を与える行為の一形式と見ることもできるのです。
日本の敬語法の原理は相手を高い位置に押し上げるか、自己卑下をして自分を低めるかことによって、相手との間に明確な上下差をつけることによって敬意の表明とするのですから、これは相手と対等だという態度を示すのを敬意の表明と考える英語圏とは対蹠的なことです。

first-namingは親愛語法ではない
first-namingは親切で気安い庶民的態度ではありますが親愛の情を示す語法ではありません。親愛語法ではないという証拠をひとつ紹介しましょう。
用例 (13) はAvery Cormanの小説Kramer vs. Kramer (1977) からです。幼い子供を置いて妻のJoannaに逃げられた主人公の中年男性William Kramer氏のところに、Joannaとおよそ6ヶ月前から同棲しているという30歳前後の青年弁護士が、子供を引き取りたいというJoannaの切なる母心を伝えにやって来ます。その青年は偶々弁護士ではありますが、弁護士として来たのではなく一人の人間として話し合いに来たのだと言います。Kramer氏はこの青年の顔つきが第一気に入らない。自信あふれた物言いも気に入らない。何よりも自分の妻だったJoannaとこの半年間同棲したというのが憎いのです。しかしその青年が「クレーマーさん、ざっくばらんに話しませんか?」と言うと、Kramer氏は「ああ、そう願いたいね。ざっくばらんにというのなら、私をTedと呼んでくれ」 と言ってそれに応じます。
(13) ‘Can you handle bluntness, Mr. Kramer?’
   ‘Oh, please. And call me Ted, if you’re being blunt.’
Kramer氏のこのときの気持ちはその青年に対してよし気に入ったと親愛感を抱いたのではありません。
青年の方もKramer氏には好感はもてません。ですがこの際は自分が弁護士であることや、相手との年齢の差や身分・立場の違いは抜きにして、一対一の対等な人間として同じ土俵の上で、お互いに遠慮なく言いたいことを率直に話し合おうではないかという気持ちなのです。 身につけている一切のものを脱ぎ捨ててみると人間はみな同じではないかと認め合った上で相手と対等に本音で話し合おうというのがアメリカの一部進歩的階層で広がりつつあるといわれるfirst-namingの精神だと思われます。
このようにfirst-namingというのは、個人尊重の民主的精神発露の語法ではありますが親愛語法ではありません。したがって親愛の情を示すにはfirst name 以外の呼び方がどうしても必要なのです。ですから、英語圏社会ではmy dear, baby, doll, darling, honey, sweetheart, lover, kid 等々のさまざまな親愛称 (terms of endearment) が発達するのです。
first-namingの乱用
最近アメリカでは相手に了解を求めることもなく、誰彼の見境なくfirst nameで呼びかける人が増えているようです。
新聞の身の上相談欄‘Miss Manners’のコラムニストJudith Martinもこの悪い風潮を取り上げ、‘indeed, it has become common place to use first names promiscuously’と嘆いています。
とくに電話によるセールスマンの悪用に不愉快な思いをさせられる苦情が多いようです。

 

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